沿革
昭和13年3月 | 県内の書店有志11名で「青森県図書株式会社」を設立。 営業所在地は弘前市土手町29番地で、代表取締役は今泉道次郎で主たる業務は学習参考書の卸売。 総株数400株、資本金20,000円とする。 |
昭和15年9月 | 増資を決議し、総株数1,000株、資本金50,000円となる。 |
昭和17年11月 | 今泉良雄が二代目社長に就任し、本社営業所が土手町30番地に移転される。 |
昭和18年2月 | 社名を「青森県教育用品株式会社」に改称。 |
昭和20年7月 | 空襲により、青森市にあった青森県国定教科書特約販売所が類焼、 建物の強制疎開を受け本社営業所を土手町に移転。 |
昭和21年4月 | 県国定教科書特約販売所の業務を土手町30番地にて開始。 9月に追加増資を行い、総株数3,600株、資本金180,000円となる。 |
昭和23年11月 | 社名を「青森県図書教育用品株式会社」に改称、社業目的が変更され、 新しく出版ならびに教科書・図書・教具・学用品の卸売および それに付帯する事業が追加、増資も決議し、総株数20,000株、資本金1,000,000円となる。 |
昭和25年1月 | 今泉達郎が第3代社長に就任。 2月に増資を行い、総株数40,000株、資本金2,000,000円となる。 |
昭和28年5月 | 増資を行い、総株数80,000株、資本金4,000,000円となる。 |
昭和29年2月 | 増資を行い、総株数96,000株、資本金4,800,000円となる。 |
昭和38年3月 | 文部省通達により無償教科書給与事務を開始。 |
昭和41年7月 | 社屋を上白銀町3番地(弘前市役所隣)に移転。 |
昭和50年6月 | 株式を増資し、発行株総数2,000,000株、資本金1,000万円となる。 |
昭和50年9月 | 現在の城東地区に社屋を新築移転、落成式典を挙行。 |
昭和56年 | 東奥日報社から発行された「青森県百科事典」の県下卸販売を一手に引き受け、 郷土出版物の流通センター機能を強化。 |
昭和57年6月 | オフィスコンピューターを導入、伝票発行などでの運用を開始。 |
昭和58年5月 | 日本海中部地震発生、本社倉庫と商品が被害。 |
昭和62年10月 | 青森県書店商業組合が設立され、当社が特別会員に登録。 |
昭和63年10月 | 創立50周年を迎え、青森市のホテルで記念式典を挙行。 |
平成2年11月 | 今泉達郎社長が教科書供給の功労により勲五等双光旭日章を受章。 |
平成4年12月 | 今泉良郎が第4代社長に就任。 |
平成5年8月 | 建物管理人制を廃止し、機械警備を導入。 教科書を除く一般品の卸売上が初めて12億円を突破。 |
平成10年11月 | インターネットサービスに加入、電子メールなどを利用した業務開始。 |
平成11年6月 | 初の簡易ホームページを開設。 |
平成12年11月 | 弘前市の老舗・今泉本店の倒産により甚大な連鎖被害を受ける。 これを機に学校への直接販売を本格化。 |
平成13年7月 | 青森県書店商業組合の本部事務局が当社敷地内に移設。(平成28年5月迄。) |
平成14年3月 | 全職員の机上にパソコンを設置。 |
平成16年11月 | 出版社・白神書院を設立し「青森県の地酒」、「堀江佐吉伝」を発刊。 自作のホームページに改訂・変更。 |
平成19年5月 | 今泉良郎社長が社団法人全国教科書供給協会・会長に選任される。(平成23年5月迄。) |
平成23年3月 | 東日本大震災により県南地方に被害発生。 今泉良郎社長が全国の大規模地震対策本部長として陣頭指揮。 |
平成27年11月 | 社屋新築40周年を機にホームページを全面改訂。 年間借入金をゼロにし、無借金決算を達成。 |
平成29年2月 | 高度管理医療機器の取り扱い開始。 |
平成29年5月 | 教科書を一般公開・販売する「教科書閲覧会」をはじめて開催。 |
平成30年11月 | 倉庫にフォークリフトを導入。 |
令和元年10月 | 青森県民手帳の県下卸販売を開始。 |
令和2年9月 | 今泉規史が第5代社長に就任。 |
令和3年11月 | 今泉良郎会長が教科書供給の功労により旭日小綬章を受章。 |